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医者いらず健康長寿処方箋

医学博士 井上正康(健康科学研究所所長&大阪府鍼灸マッサージ師会学術顧問)


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「味覚の世界:旨いモノにはワケがある」

  三大本能の中でも食欲は最も重要な生存支援システムであり、これにより全ての動物は今日を生きながらえることができる。生物進化が爆発したカンブリア紀には口の基本的構築が様々に進化した。当時の海を我が物顔に泳ぎ回っていた最大の肉食獣アノマロカリスは、海底を歩く三葉虫や甲殻類などを噛みちぎる強力な歯を備えていた。しかし、彼らは捕えた獲物を飲み込む事は出来ても、それをゆっくり吟味して食べる事は出来なかった。味を吟味するには、獲物を小さく噛み砕いて擦り潰す臼歯の進化を待たなければならなかった。ヒトでも食物はよく噛まなければその味を堪能することが出来ない。音を立ててすする蕎麦でも、口の中で噛むことによりその旨さが増強される。これはよく噛む事により食物が小片化し、アミラーゼなどを含む唾液が分泌されて更に低分子化した味の成分が舌の小さな味蕾(みらい)の味覚受容体に結合しできるからである。
  弱肉強食の世界では、食べられ易い生き物は絶滅する。このため動いて逃げることのできない植物では、様々な方法で動物に食べられない工夫がなされている。苦味や辛味の成分の産生はその代表的な工夫であり、有毒植物として捕食者を遠ざけることに成功してきた。実は我々が調理に利用しているスパイスの多くもその有毒成分である。山葵、大根、唐辛子、生姜、大蒜などの辛味成分は毒性があり、殺菌力も強い。これらの植物はこの様な有毒成分を産生する事により動物に食べられずに繁殖してきた。多くの場合、これらのスパイスを動物の口の中に入れると直ぐに吐き出してしまう。しかし、調理を発明した人類はその毒性を適度に利用し、様々な食材をより安全かつ美味しく食べる事に成功した。これらのスパイスを刺身や肉に少量加えることにより、表面に付着している病原体を死滅させると同時に、味覚神経を介して唾液や胃液の分泌を促進して消化吸収を容易にする。唐辛子のカプサイシンなどは特異的受容体を介して痛覚刺激にも関与する。これらスパイスの多くは脂溶性の作用分子に糖が結合した抱合体が多く、ミロシナーゼなどの分解酵素で分解されることにより辛味が増強する。山葵を鮫皮できめ細かく擦ったり、大根の辛味がすり下ろした後の15分程で最大になるのはこの酵素反応に起因している。これらの作用成分は空気に触れると酸化されて辛味が失われるが、ビタミンCなどを含むレモン汁を加えると還元されて辛味が再生される。この様な特色を巧みに使いながら、日本人は多様な食材を美味しく食べる食文化を進化させてきた。味覚の受容体は、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味に対応する5種類であるが、これに食物の歯ごたえや温度なども影響を与えている。甘味は糖分などのエネルギー情報、酸味は発酵や腐敗情報、塩味は体液の塩分調整情報、苦味は有毒情報として食欲を制御している。美味いモノには生存を左右する深い理由があるのである。遺伝子は4種類の塩基で多様なタンパク質分子をデザインしているが、5種類以上の味覚情報が脳内で統合されると天文学的な味の種類が創成される。五味の中でもアミノ酸や核酸などが醸し出す旨味は日本の食文化が創成した豊かで繊細な栄養情報である。日本食が世界遺産になったことは嬉しいことではあるが、世界の国々の料理にはその土地の土壌、気候、歴史環境を含む食文化のエッセンスが凝縮されている。流通手段が乏しかった時代に限らず、今でも‘食と酒は現地調達と地産地消が基本’と言われる所以である。
  鍼灸では食欲をコントロールする地倉、神門、胃点、飢点、肺点などが知られている。これらのツボは脳の食欲中枢に作用すると考えられているが、味覚との関係は不明である。食欲は、味覚をはじめ、視覚、嗅覚、触覚、温度感覚にも左右されるが、ツボによる脳内制御機構は不明である。メタボ検診などで膨大な医療費が浪費されているが、これらのツボの作用機序や効果を現代科学で解明することにより、新たな健康支援法が確立できると思われるが、如何であろうか?


転載:月刊東洋療法242号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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