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医者いらず健康長寿処方箋

医学博士 井上正康(健康科学研究所所長&大阪府鍼灸マッサージ師会学術顧問)


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「嗅覚の生存機能」

  動物の体は美味しいご馳走であるため、弱肉強食の世界では常に捕食者に狙われている。しかし、生物にとって最大の天敵は寄生虫や病原菌などであり、彼らと永遠の軍拡競争を繰り広げなければならない宿命にある。病原体対策として最も重要な武器は免疫力であり、その多様性と性能を向上し続ける事により生存が保証される。免疫の多様性を拡大する最も有効な手段が有性生殖であり、性はこのために進化した生存システムなのである。約2億年前のジュラ紀に驚異的に繁栄した恐竜が突如として姿を消し、それまでは夜行性で地中に棲んでいた小動物が世界を謳歌できる時代が到来した。天敵の少ない地中や暗闇では、周囲環境を認識する嗅覚と触覚が生きるために最も重要な感覚であった。地中に棲むモグラでは、嗅覚機能と関係する神経細胞が脳の大部分を占めている。彼らは目に見えない土の中のミミズなどを検知して餌にしている。昔から、畑にニンニクを植えるとモグラが居なくなると云われている。ニンニクには臭いの強いアリシン(抗菌性含流化合物)が含まれており、それが彼らを駆逐するからである。嗅覚は性を支配する本能的神経機構とも深く関係している。例えば、嗅覚が生殖行動を支配するブルース効果と呼ばれる現象が知られている。これは、交尾直後の雌ネズミが別の雄の尿を嗅ぐことにより、授精した卵の子宮への着床が阻害されたり、着床した胚や胎児が流産する現象である。妊娠阻害の強度は、異なる雄との接触時間、尿への曝露時間、出産経験などにより影響される。これはフェロモン分子と関係しながら進化してきた鼻粘膜の鋤鼻器と呼ばれる特殊装置により検知されると考えられている。このすさまじい反応は、新しい雄への適応現象として機能し、妊娠が中断される為に再び発情して新たな雄との交尾が可能となる。この様な交尾行動により多様な雄の遺伝子を受け継いだ子孫が生まれ、結果的に免疫の多様性を拡大することにつながった。妊娠の継続や出産後の授乳・子育てには膨大な時間とエネルギーが要求される。子宮の中で少数の胎児しか育てられずに産児数が大きく制限されているほ乳類では、そのハンディーを克服するためにこの様なシステムが進化したと思われる。二足歩行を始めたヒトでは、餌や天敵の臭いがする地面から鼻の位置が高くなり、瞬時に遠くまで多様な情報を検知できる視覚が嗅覚に代わって生存を左右する最重要機能となった。事実、数十cmの範囲しか識別できないネズミでは嗅覚受容体が1000種以上もあるが、視覚的に優れたヒトでは350種程度にまで退化している。しかし、5種類の味覚受容体を組み合わせれば極めて多様な味を創成しうるので、350種もの嗅覚受容体が動員されると天文学的な種類の臭いを識別できることになる。嗅覚は極めて多様な臭い分子を微量で検知できる超高感度の認識システムなのである。しかし、この鋭敏な嗅覚は特殊な神経機構により速やかに脱感作されて短時間で機能しなくなる。この抑制機構により無数の臭い分子が充満する世界でも、新たな臭い分子が出現すれば、直ちにその濃度変化を検知して認識できる。警察犬が遺留品などに残された微量の臭い分子を嗅ぎ分けて犯人を追跡したり麻薬を探り当てることができるのもこの神経機能のお陰である。この嗅覚抑制機構がなければ、東京や大阪の下町はもとより、華の都パリでもオシッコ臭で嗅覚がたちどころに麻痺し、流石の警察犬も役に立たなくなるであろう。

 嗅覚は食物などの腐敗や毒物の有無を検知する最重要機能でもあり、免疫能と不可分の関係にある。免疫力が低下して風邪を引くと、食べ物の匂いや味が判らなくなるのはこの為である。鍼灸では、迎香、攅竹、承泣など、花粉症やアレルギー病態に有効とされるツボがある。これらのツボは三叉神経の支配領域に分布している。三叉神経は極めて鋭敏な知覚神経であり、視床下部・下垂体・副腎軸(HPA-Axis) を介してストレス応答や自律神経・免疫系のモジュールとして機能している。これらのツボの未知の機能を、嗅覚や免疫能との関係で解明する科学研究が望まれる。


転載:月刊東洋療法243号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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