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医者いらず健康長寿処方箋

医学博士 井上正康(健康科学研究所所長&大阪府鍼灸マッサージ師会学術顧問)


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。 専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「良薬は臭し?・・・嗅覚の生存戦略」

 

 約200年前にドイツの化学者カール・ライヘンバッハがブナの木から蒸留した木クレオソートが日本でも古くから胃腸薬として愛用されてきた正露丸の起源である。当初は化膿した傷の治療に用いられていたが、後にその殺菌効果が期待されて胃腸疾患で服用されるようになった。日清戦争で伝染病に悩まされていた帝国陸軍がクレオソートのチフス菌抑制効果を発見し、止瀉作用や歯髄鎮静効果が有ることが判明した。軍人に蔓延していた脚気が感染症と誤解されていた日露戦争当時は、これをクレオソート丸として将兵達に服用させていた。栄養失調に起因する脚気の予防治療薬としては無力であったが、運良く日露戦争に勝利したことはクレオソート丸のお蔭と考え、その後は「征露 (ロシア征伐) 丸」として広く使用されるようになった。
 筆者は40年程前にペルシャ湾航路の船医として勤務した事があったが、当時の中近東では寄生虫症や様々な感染症が蔓延しており、地元住民の平均寿命は45歳程度と短命であった。この為、ペルシャ湾航路の船員達も下痢や腹痛に悩まされる事が多く、彼らの間では正露丸が隠れた人気薬であった。
 その後の数十年間は正露丸の事をすっかり忘れていたが、ある時に正露丸を販売していた製薬会社の社員と会食する機会があった。その際、彼は「娘が臭い正露丸の方が糖衣錠よりも良く効くと云っている」と冗談混じりに話していた。「糖衣錠は薬の表面を糖が覆っているだけで、中の成分は同じなので両薬の効果に差は無いだろう!」と苦笑していた。しかし、このエピソードを聞いた私は直感的に「子供の云っていることは案外本当かも知れないな!」と思った。それは嗅覚や味覚が免疫系とも深い関係があり、感染防御に重要な役割を果たしているからである。正露丸の糖衣錠を経口摂取すれば、糖衣が胃腸で溶けるので丸薬中の有効成分は糖衣の有無に関係なく体内で同様に作用すると考えられる。しかし、胃腸でゆっくり溶ける糖衣錠と異なり、臭い丸薬は口に含んだ瞬間に嗅覚を強く刺激する。嗅覚は脳の視床下部を介して免疫制御系とつながっているので、この嗅覚刺激が免疫応答反応を誘起して感染防御作用を発揮する可能性があると考えた。この様な作業仮説の下に、マウスに食べられないように飼育ケージの中に臭い正露丸と糖衣錠を置き、一方のマウスにのみ臭い匂いを暴露し、血液中のホルモンやサイトカイン、および腸粘膜組織の免疫グロブリンなどを経時的に比較解析する実験を行った。驚いたことに、正露丸の臭い匂いに暴露されたマウスでは、ストレスホルモンのコルチゾールやIgAの血中濃度が速やかに増加してきた。また、大腸の粘膜組織ではIgA抗体の産生分泌も著明に増加していた。一方、糖衣錠を見せただけのマウスではこの様な変化は見られなかった。興味深いことに、糖衣錠を経口摂取させたマウスでは血中のコルチゾールがゆっくりと増加したが、血中IgEの増加や腸粘膜組織でのIgEの産生分泌は少なかった。詳しく解析した結果、正露丸の臭いに暴露されたマウスでは、Th2型の液性免疫系が活性化され、逆にTh1型の細胞性免疫系は抑制されていることが判明した。更に、正露丸の臭いに限らず、不快臭や心地よい香りによる嗅覚刺激は、免疫系のTh1/Th2バランスを調節することにより生体防御機能を発揮していることも明らかになった。ところで、正露丸の話には後日談がある。「先生、臭うだけで効くなら、その消費量が減って商売にならないですね。よく効く薬ですが、メカニズムはあまり知られたくないですね、、、~_~; 」。さて、、、。
 動物の生存に最も重要な機能は、食物中の有毒成分や病原菌の有無を検知することである。毒物や病原菌の混入した食物は悪臭や腐敗臭を有する事が多い為、嗅覚は危険な食物を検知して排除する生存機能として進化してきたのである。しかし、飢餓が日常茶飯事だった太古の時代には、食物が多少腐敗していても食べなければ餓死してしまう。この為、嗅覚を強く刺激して腸管の免疫力を強化することにより病原体を駆逐する防御戦略が進化した。この様な機能により危ない餌でも安全に摂取しながら今日を生き延びれば、明日へ遺伝子を継承できるチャンスがある。この様な戦略の延長線上に、嗅覚は免疫的多様性を広げて遺伝子の存続を無意識的に支援するパートナー選びの匂いセンサーとしても進化してきたのである。
 世界一臭い塩漬けニシンの缶詰シュールストレミング、強烈なアンモニア臭がするエイの発酵食品ホンオフェ、海鳥をアザラシの皮脂で巻いた発酵食品キビヤック、日本の鮒鮨やクサヤなど、鼻がひん曲がりそうな食品が世界各地で根強い人気食品として食べられ続けている背景には、その強烈な嗅覚刺激による免疫的生存支援効果が潜んでいる可能性が考えられる。
 風邪やアレルギーに有効とされる迎香、攅竹、承泣などのツボ刺激は、三叉神経を介して視床下部の免疫制御機能に関与している可能性がある。現代科学の手法でこの問題に光りを当ててみる価値が有りそうである。

転載:月刊東洋療法245号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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