トップ > お知らせ一覧 > 医者いらず健康長寿処方箋⑪

医者いらず健康長寿処方箋⑪

医学博士 井上正康(健康科学研究所所長&大阪府鍼灸マッサージ師会学術顧問)


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「幸せな戦後世界とアレルギー大国日本」

 巷では「健康には免疫力を高めることが何よりも大事!」などと云って病気のリスクや予後を論じる事がある。これは間違いではないが、ことはそれほど単純ではない。人間界に陸・海・空の軍隊が有るように、ヒトの免疫系にも様々な外敵に対して特異的な任務を担う三種類以上の軍隊(自然免疫、細胞性免疫、液性免疫)がある。国防予算に限りがあるのと同様に、免疫軍隊にも総予算があり、三軍に割り当てられた予算内で軍事バランス(免疫バランス)をとりながら有効な生体防御反応を展開している。
 この免疫軍隊は個体の発育成長や環境に応じて巧みにバランスを変えるフレキシブルな軍隊である。子宮内の無菌的環境で育った胎児や新生児では液性免疫を担うTh2系が優位であるが、出産後に様々なウィルスや細菌などへ暴露されることにより細胞性免疫を担うTh1系が分化誘導される。この様に生活環境に応じて免疫系のTh1/Th2バランスを変化させることが生存の基本である。
 腸内細菌はTh1細胞の主要な誘導因子であるため、無数の腸内細菌が共生する消化管では細胞性免疫の軍事訓練が日常的に繰り広げられている。IFN-γなどを分泌するTh1系細胞はB細胞からIgGを産生して細菌やウィルスと戦い、IL-4やIL-5を分泌するTh2細胞はB細胞にIgEを産生させて寄生虫、カビ、ダニ、杉花粉などのアレルゲンを攻撃する。この為、Th1細胞が過剰になると自己免疫疾患を引き起こし、Th2系細胞が過剰だとアレルギー疾患が誘起される。
 日本人は人生50年と云われていた終戦直後から僅か70年足らずの短い期間に平均寿命を30年も延長させてきた。これは戦後に日本経済が驚異的な復興を果たし、衛生環境が劇的に改善されたことに起因すると考えられている。井戸水や路地裏の下水が主体だった戦後の下町生活は、瞬く間に上下水道の完備された衛生的環境に代わった。下肥の廃止や河川工事により寄生虫症が姿を消し、一般家庭の冷蔵庫の普及は食品由来の感染症を激減させた。昔は湿っぽい夏用対策として建てられた木と障子で風通しの良い日本家屋も気密性の高いマンションやツーバイフォー建築に取って代わられ、フローリングの床には絨毯が敷かれるようになった。この為、それまでは寄生虫などによる消化器感染症などで忙しく働いていた免疫系の仕事が激減して暇になり、Th2系細胞やIgEが主役を演じる杉花粉やダニなどに対するアレルギー反応を起こすようになった。免疫系バランスが激変して日本がアレルギー大国となったと云う「衛生学説」に関しては日本や中国で公衆衛生学的解析がなされ、中国などではそれが当てはまることが証明された。しかし、日本ではその様な証拠は得られなかった。
 戦後の短時間に日本がアレルギー大国となった理由に関しては「医原性疾患説」も提唱されている。戦後に驚異的な経済発展を遂げた日本は、医療分野でも先進国のトップランナーとなった。例えば、人口100万人当たりのCTやMRIなどの高額医療機器の導入率は世界一であり、米国や英国などの先進諸国と比べても圧倒的に高い。これと比例して抗菌薬の使用率もずば抜けて高くなった。多量の抗菌薬投与やワクチン接種により戦後の僅かな期間に結核などを激減させ、乳幼児死亡率も目覚ましく改善してきた。しかし、抗菌薬を安易に過剰使用すると腸内細菌叢が攪乱され、Th1系細胞の分化誘導が抑制されて免疫バランスが変化し、Th2主導型のアレルギー疾患が激増してくる可能性がある。
 日本の感染症患者から検出される耐性黄色ブドウ球菌の検出頻度は約60%と極めて高頻度である。一方、アメリカやイタリアでの検出頻度は約40%、ドイツでは10%以下、オランダでは殆ど検出されない。これらの事実から、日本での抗生剤乱用が耐性菌MRSAの院内感染が多発する原因と考えられている。乳幼児への不用意な抗菌薬投与が腸内細菌叢を変化させ、乳幼児期に確立されるべき免疫バランスを崩し、花粉症やアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患を増加させた一因となっている可能性が高い。免疫機構は約2歳までの抗原刺激によりほぼ確立されるので、この間に安易な抗生物質投与を止めて腸内細菌叢を発達させてやるとアレルギー疾患を回避できる可能性が考えられる。
 最近まで日本ほど安易に抗生物質を投与してもらえる国はなかった。しかし、現在では経済成長率が異常に高くなった中国の抗生物質使用率が世界一となった。中国では毎年20万トン以上もの抗生物質の原料が使われ、その大半が国内で消費されている。その結果、中国人は一人当たり毎年138gもの抗生物質を服用している計算になる。これは米国人の年間服用量(13g)の10倍以上もの量である。更に、中国では養豚や養鶏をはじめとする畜産業のみならず、農業や漁業にも抗生物質が乱用されている。この為、現在の中国ではあらゆる抗生物質に耐性を示すNDM-1遺伝子を持つスーパー耐性菌が蔓延し、その輸出大国となっている。戦後の日本が経験してきた道を、中国は遙かに深刻なスケールと速度で追体験しつつある。その影響は中国産の輸入食品などを介して日本人のアレルギー疾患などにも大きく影響しつつあると思われる。

転載:月刊東洋療法248号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

PAGETOP