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医者いらず健康長寿処方箋⑫

医学博士 井上正康(健康科学研究所所長&大阪府鍼灸マッサージ師会学術顧問)


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「鍼灸マッサージと脳科学の共進化」

 最初に原始的な石器を開発したのは約240万年前のホモハビリスと考えられている。彼らの脳重量はチンパンジーと現生人類の中間ぐらいと推定されている。その後に、脳は長い進化的停滞期を迎えたが、約30万年前に現生人類と同様の脳重量を獲得し、20万年前には左右対称で枝の着いた高度な石器を発明できる能力を獲得した。この背景には人差し指と対向できる親指の独特な鞍関節の進化が不可欠であった。これにより武器を強く握りしめて獲物を確実に殺傷できる能力を獲得すると同時に、物をつまんで保持したり精密に加工することが可能となった。しかし、より高度の道具を作成したり、美術、音楽、本格的言語などが進化するには約6~7万年前の「大躍進時代」を待たなければならなかった。
 喉頭の発生器が進化するまでは原始的な身振り(ボディーランゲージ)によるコミュニケーションが基本であり、それを足場として音声言語が誕生したと考えられている。手話の多くが民族を越えて理解可能なことは、その事実を物語っている。以前、南アフリカのマンデラ元大統領の追悼式典の際にオバマ大統領の隣で聴覚障害者の為に手話通訳が行われて全世界へ中継されたが、その内容がでたらめで意味不明であることが判明したスキャンダルも、手話と云うボディーランゲージが民族を越えた世界共通語であることを物語っている。
 カナダの脳外科医ペンフィールドは、約80年前に開頭術中の患者の脳の様々な部位を刺激しながら脳地図を作成し、脳機能解剖学の基礎を築いた。この脳地図は主に脳表面の局所部位と運動知覚機能の関係を示したものであるが、今でも様々な情報を提供してくれる。その中でも特に手や顔の占める領域は異常に大きく、両者で脳表面の60%近くを占めている。その他、舌、唇、顎などの領域も極めて大きいことから、ヒトの脳に占める言語機能の重要性が伺われる。
 現在では、MRI、fMRI、PET、脳波、脳磁図などの装置を駆使して脳の様々な部位と機能との関係が詳しく解析されている。これらの研究の中でも「ミラーニューロン」の発見は脳科学研究の分水嶺となる重要な成果である。ミラーニューロンは他者の動きなどを観た際に発火する特定の神経細胞であるが、この細胞は自分が同じ動きをする場合にも発火する。このことからミラーニューロンは他者の行動様式を理解すると同時に、バーチャルシミュレーションを可能にし、同じ行動をするために不可欠な細胞と考えられている。例えば、乳幼児が母親の顔や唇や舌の動きを読んでオーム返しで言語を習得する過程にも関与している。事実、言語中枢として重要なブローカー中枢には多数のミラーニューロンが存在している。更に、ミラーニューロンは他者の意識と自己の意識を共感的に結びつける役割も担っている。他者とのコミュニケーションが取りにくい発達障害ではこの神経ネットワーク機能が障害されている可能性がある。この障害が軽度の場合は、周囲の空気が読めないヒトになる。
 五感は脳内で複雑に相互作用しながら世界を認識しているが、その中でも特に視覚の支配する領域は極めて大きい。古くより後頭葉の第1次視覚野が知られていたが、ここから更に30ヶ所以上もの視覚関連領域に神経連絡が形成されており、それらの相互作用により色、形、動き、情動などの情報が統合的に認知される。このシステムが障害されると、その部位により様々な症状が現れる。幻肢などのファントームや幻肢痛もその例である。これは事故や戦争などで失った手や足がないにもかかわらず、それが有るように認識したり痛んだりする現象である。脳血管障害などで片側の手や足が麻痺した場合の後遺症として現れることもある。これに関しては「脳の中の幽霊」の著者として有名な脳科学者ラマチャンドランの視覚とファントームに関する素晴らしい研究がある。左腕を切断した後も無くなった腕が見える幻肢の患者さんの左側の頬や唇を触ると、あたかも無くなった左腕を触られている様に鮮明な感覚が生じる。しかも、頬や唇には親指から小指までが順序よく整然と配列された状態で知覚領域を形成していることが判明した。改めてペンフィールドの脳地図を診ると、手と顔の知覚領域が上下で隣接していることが判る。これらの隣接した領域間には神経線維の交差連絡があり、これが幻肢の原因であると考えられている。又、この領域と痛覚中枢との間にも神経細胞の交差連絡が有ることが示唆されている。ラマチャンドランは鏡を貼り付けたミラーボックスを作成し、その鏡に健側の右手を映して動かし、患者が鏡に映った左手と錯覚した手の動きを観ることにより幻肢や幻肢痛が消えることを示した。この様な研究から、視覚と体性感覚が不可分な関係にあることや視覚野から痛覚野へも交差連絡があり、それを視覚的に制御することにより幻の痛みを制御できることが判明した。これは世界で初めて行われた「視覚による幻肢の切断手術と幻肢痛の緩和手術」である。
 痛みの軽減は鍼灸マッサージが本領を発揮出来る分野である。患部の痛みに対しては有効なツボや経絡が決まっているが、この中には上記の様な脳内での神経線維交差連絡も含まれている可能性が考えられる。事実、鍼灸では片側の幻肢痛に対して反対側の手足の痛みを緩和するツボに鍼を打つ「巨刺」と云う治療法が知られている。私はこの様な臨床例を直接経験していないが、この方法が幻肢痛の緩和に本当に有効であれば、幻肢痛のメカニズム解明や新治療法として脳科学的鍼灸法の新たな起爆剤となる可能性がある。今、リハビリは脳科学を基盤に新たな進化を開始しつつある。若い鍼灸マッサージ師の中から脳科学的鍼灸マッサージ法の体系化を目指す研究者が生まれることを期待したい。

転載:月刊東洋療法249号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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